「終戦記念日」
来る日も来る日も茹だるような日差しの中、8月15日、終戦記念日を迎えた。
記念日にも色々あるが、人間の生と死、虚しさ愚かしさ、人間のエゴ、などあまり印象の良い言葉が見つからない記念日ではある。
昭和20年(1945年)8月15日は、私にとって生後3年7カ月の出来事で、リアルタイムの記憶はほとんどない。その後の子供心や、少年・青年への成長過程で、「誰が? 何の目的で? 何を狙って? 無謀な戦争を始めたのか??」様々に聞かされてきた。己の実力を見据えたとき、何故もっと早く終戦という決断ができなかったのか??昭和を生きた者の底知れない不満であろう。
何かにつけて、素朴な疑問や反省と悔恨が付いて回る、8月15日である。
昨日の、岩国上空爆撃の犠牲者に対する哀悼の黙とうに続いて、今日の正午は、戦争における全ての犠牲者に1分間の黙とうを捧げた。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という武士道の基本を本当に踏まえていたのか。考えさせられる。この言葉の元は「知彼知己者、百戰不殆」 とされているので、必ずしも日本武士道に由来するものではないかもしれない。
そして毎年のことながら、国家を代表する総理大臣が、戦没者を祀った靖国神社を参拝すると、「反省がない」「歴史認識が誤っている」いると隣国が声高に叫ぶ。
我が国の報道機関もおおむね、靖国神社参拝を控える論調に走る。ここらあたりの話になると、いまだ我が国は主権国家ではなく、CやRの属国のような発言をする。
いつになったら、何年たったら、この靖国参拝問題が解決するのやら。きっと近い将来他国に干渉されない日が来ることを期待しているが、こちらの命がそこまで待てないだろうね。
現代の、恥も外聞もない私利私欲に走る大国相手に、丸腰で、飛び来る火の粉を払いのけられるだろうか本当に。それほど甘い世界ではないことだけは確かである。
自らの欲で戦争を始めることは、絶対にいけないこと。ダメなこと。
それでも、侵略戦争から国家を国民を守るシナリオは、誰かが書かないと。
なんかしら、考え方がさもしくなる終戦記念日ではある。