世の中ちょっと やぶにらみ!

本音とたてまえ使い分け、視点を変えてにらんでみれば違った世界が見えてくる・・・かな?

「認知症を学ぶ」

yattaro-

         

担当地域の高齢者を支援する「地域包括支援センター-」の呼びかけで、認知症を学びみんなで考える。認知症サポーター養成講座に、私たちグラウンドゴルフ同好会から多くが参加した。色々身につまされるシーンを感じながら、ちっくと勉強してきた。

我々が今さら「認知症サポーター」などというお役には立てないと思うが、他人の世話をする前に先ずは自らの心構えなどの参考になれば。言うなれば、歳を取るということはこのようなこともありますよ、参考にしましょうね。そんな講座だったと思う。

『認知症の特性や症状の特徴を正しく理解することで、
 認知症への恐れや偏見、差別をなくしましょう。
 認知症があっても、尊厳と希望を失うことなく、
 家族や友人、ご近所の人たちと一緒に、
 地域の中で安心して暮らせる社会を考えてみましょう。』

というのが一つの目標でもあった。
他にも、認知症をわがこととして考えてみよう。
認知症とともに、今、伝えたいこと。
認知症を理解する。認知症とは? 認知症の症状。

といったような内容で、実際に認知症のおじいさん役と、良くない娘、良い娘の立場でコント風の「あるある話」「えーそうなの?」といった、今は確かな判断が下せる勉強もした。
ただ、本当に認知症となって自己判断はおろか、自分を見失って自分でコントロールできなくなったときに、どうなるんじゃろう。息子や嫁、嫁いだ娘の手を煩わせて、専門施設でお世話になるのか、という結末を考えさせられる講座でもあった。

帰り道でしみじみ思うのは、私自身の尊厳を私自身に決める方策はないものか、ということ。つまり、ただただ高度医療のお陰で命が途切れるのを長引かせることが私自身や家族にとって、本当のしあわせなのか。間違いなく不幸である。何としてもそんな不幸は避けたい。

「完全な植物人間となった時点で私の生涯を終える権利」を遺言などによって実行できる『尊厳死』を認める世の中にならないだろうか。

遺すべき財力もない者が、ただただ命を長らえるばかりに、面倒を見る立場の子や孫たちに多大な負担をかけるのは気の毒で仕方がない。

認知症の勉強と同時に『尊厳死』の勉強もするべきだ。そんな感想を持つ認知症を学ぶ講座であった。秋って、物思いに更けるもんだね~。 

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