「九十(くじゅう)の選択」

苦渋の選択
9月9日の昨日の語呂合わせは、文句なし救急の日で落ち着いた。
ならば、1日後の9月10日の語呂合わせははなんとしよう。九と十、つまり苦渋の日となるのか。それもちょっと分かりにくいので「苦渋の選択」として考えるとしよう。
長い人生の中で、時間をかけて深慮遠謀をめぐらしたうえで、どちらかを選ばなければならなかった重大局面を一つや二つは経験されたことと思う。
そこで苦渋の選択とは、本当は選びたくない事柄でも、二者択一、二つは並び立たない場合に辛い思いをしながらどちらかを選び決めていく決断をいう。
たとえば、サラリーマン生活の中で同僚や部下の成績査定を任されたとき。あるいは、時代の流れで人員削減いわゆるリストラの人選を命令されたときなど。監督職や管理職にならなければよかったのに、などと思ったことは何度かある。まだ若かったし、一人ひとりの顔を思い浮かべ、生活態度を考え合わせると甲乙つけがたい。しかしそれを悩み過ぎると私自身の評価能力を疑われる。そんな嫌な時代も何とか乗り越えて来た。
ただ、自分の生き方の中では思いのほか、苦渋の選択を迫られたという記憶はあまりない。むしろ深くまで悩む前に、どちらかを選ぶのが課せられた宿命なのなら、いっそのこと「自分はどちらがやりたいか」、「自分に向いているのはどちらか」という基準で割り切って、悩む前に結論を引き出して来たように思う。
それが、たとえ間違っていようとも自分で選択した道ならば仕方がない。取り返しが利かないのなら、それは間違いではなく正解だったとなるよう努力の方向転換をしながら生きてきたのかもしれない。
今さら苦渋の選択とは縁のないお年頃かもしれないが、そうはいっても、自分の逝き方まではどうにもならない。ならば、誰に、何を、どのように託すのか。それが遺された選択として悩むのかな?そこには多少の苦渋が付いてくるのかも。
救急に続いて苦渋の選択を考えるとは、9月はやはり苦難の月なのか?
いやいやそんなことはない。お彼岸の大型連休もあるし、仲秋の名月もやって来る。