「春の息吹」
正月以来雨の少ない日が続いて、山の奥にある幾つかのダムの貯水量が気にかかり始めていた。2月に入ってようやくまとまった雪が降り、続いて春雨特有の細かい雨も何度か降った。ダムの貯水量はまだまだ安心できるレベルではないが、給水制限とまでは行かない状態をキープしている。本来ならもっともっと降ってくれると、カラカラに渇いた畑に水を撒くときの気持ちの余裕が違うのだが。
それでも、春の足音は日に日に高くなっていて、そこかしこに山川草木、春の息吹を感じさせる。
軽いウオーキングの足の向く先々に、色んな花や木がつぼみを付け始めているのに気付く。差し当って目に入ったのが、ビワの木にまとわりつく花のつぼみの塊りである。華やかな色でもなく、目を凝らさないと知らずに通り過ぎてしまいそうな地味系の花である。ひと塊になってこそ値打ちを発揮する花、そこにはやがてメジロが、入れ替わり立ち代わりやってきて、受粉をし、やがて6月には枝垂れるようなビワの実を付けるのである。
このように必ずしも人の手で植えたわけでもない色んな木や花が、季節を違えず新たな芽吹きをする。小鳥がタネを運んだり、カラスがビワのタネをあちこちにばらまいたり、形は色々だが、新しいタネを誰かがどこかにばらまかなければ若木の成長はない。
そのようにして、自然界の営みは未来永劫続けられる。
そう考えると人間社会では、そんな単純な自然の営み、子孫繁栄が危ぶまれている。少子化は進むばかり。外国からの輸入による労働力が主流を占める時代になりかねない。春の息吹をテーマに考えてみたが、現実の厳しさを改めて感じさせる浅き春である。