世の中ちょっと やぶにらみ!

本音とたてまえ使い分け、視点を変えてにらんでみれば違った世界が見えてくる・・・かな?

「安らかな眠りを」

yattaro-
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義理の関係とはいえ父親が、子供を手にかける。この4月から小学校6年生なるはずであった、何の罪もない可愛い男の子が遺体となって山林に遺棄されるという、京都府南丹市の殺人事件。大分県豊後大野市では、3月上旬から行方不明になっていた18歳の女性が、山中で遺体で発見された事件。こちらは面識のない58歳の男が関与していて取り調べ中という。沖縄では、辺野古埋め立て地域を社会見学に訪れた京都府の女子高校生と操船していた船長が転覆事故によって水死するという痛ましい事故等々。

治安が良いとされている日本国内において、どうにも納得のいかない事件事故によって、多くの命が失われている。何かがおかしい。何かが足りない。何かが狂っている。何かよくわからないがことが、人間社会の中で渦を巻いている。
超利己主義社会・行き過ぎた個人尊重社会・道徳や協調といった教育の貧困社会。さらには、責任転嫁に長けて個人で責任を負わない無責任社会。いろんな思い当たる社会現象がある。

こんな世の中で、どうやったら我が子我が孫を守り通せるのだろう。そこには、学校が我が子を守ってくれる、教師は子どもの味方、などという安易なお任せ意識は慎むべきではないか。何よりも先ずは自己責任において、我が子我が孫を守る責任感を、親も子の家族も祖父母も一体となって持つべきではないか。学校や教育委員会・地域社会などに丸投げしてはいけないのではないか。という今の社会の流れとは対照的な考えも必要ではないのかな、などと考える。

そんなことを考える横で、親が子どもを殺めるのだから、何をかいわんや、ではある。
突き詰めるとやはり、私を含めて人間の私利私欲に対する弱さが底辺にあるような気がする。昭和のあの物心両面にわたる貧困と屈辱を耐えた世代がだんだん少なくなる時代背景も無関係ではないのかも。
社会全体で弱者を守る。これは理の当然。休むことなく推進しなければならい。その一方で、優しさの手を伸べることで、安易に弱者の増加することも避けるべきである。
こちらも自己責任で、やむを得ない弱者とは区分けして考えていかないと、弱者が弱者を守る弱者社会の到来も困りものである。

強い人間が50%を超える世の中が来るといいね。

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