世の中ちょっと やぶにらみ!

本音とたてまえ使い分け、視点を変えてにらんでみれば違った世界が見えてくる・・・かな?

「年賀状事情2026」

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今年の正月に向けた年賀状を、暮れの忙しい中でせっせと書いた、というか、拵えたという方が正しい。せっせとは云っても、かつての大量の年賀状枚数から比べると3分の1にも満たない76枚を発信した。今年は、返信が来ないのが意外に多くて、こちらが受け取ったのは56枚。単純計算でも返信率74%弱。現役バリバリの時と違って、年賀状の価値も落ちたし、同級生や同僚も高齢となって、いま流行りの年賀状じまいが大きく作用しているようだ。

相変わらず、年賀状に対する価値観や必要性を、昔のまんま持ち続けている自分を、時代遅れと反省する時期にきているのかもしれない。鬼が笑う話になるが、今年の年末の年賀状購入枚数は今年の半分近くに減るのだろう。年賀状に込める執念みたいなものを改めて、年賀状発信そのものを最低限に絞ることにするかな。
今まで大切にしてきた『年に一度のごあいさつ』も、『年に一度の消息確認』も、受け取る人から見れば、一種の迷惑であることも考える必要がある。
それがいまどきの年賀状事情である。

いずれにしても、頂いた56枚は大切に保管し、暑中見舞いの時季に一度確認するのがyattaro―流儀なので、今年もそうしよう。少なくとも今年まではそうしたい。
そんな貴重な56枚を、年賀状お年玉当抽選の発表に照らし合わせてみた。ここらあたりの欲の皮の突っ張り具合は健在である。残念ながら3等切手シート2枚の当たりだけ。さて今年の今後のくじ運は如何なものだろうか。

あれこれ考えてみた今、自分も年賀状じまいをするかと訊かれたら、やっぱり答えはノーだろうねー。義理人情を重んじるというほどの重たい感情ではない。そこまでは行かないが、少なくとも「感謝」だけは忘れたくないと思っている。「可愛がってもらった」「手を差し伸べてもらった」「お世話になった」。そんな過去があって、今の自分がいることを忘れないためにも、過去を風化させないためにも、賀状や暑中見舞いがあるという漠然とした考えがなかなか抜けきらないということなんだろと思う。
年賀状事情も色々あっていいよね。

「いちばん寒い時季」

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今日から大寒。2月4日立春を迎えるまでが、1年中で最も寒い時季と言われている。
そんな日本の言い習わしを知っているのかいないのか、気圧配置はまるで冬型。等圧線は縦じまが込み合い、地方によっては間違いなく災害級の大寒波襲来。大雪や大風など交通網の麻痺や物流の停滞など、社会生活に大きな支障となる。そんな季節を迎えている。

  

間違いなく外は寒い。出来れば暖房を利かせた家の中で過ごしたい。でもそうばかり言ってもいられない。午前中は団地のグラウンドゴルフの練習日である。8人の仲間全員とは言えないが4人以上集まれば練習をするという暗黙の了解もある。


そんな中、気象予報士や気象庁から「不要・不急の外出は控えてください」と連呼される。

そんな連呼が耳に入るたびに「私たちのやっているグラウンドゴルフ同好会の活動はどっちなんじゃろう」といつも考えさせられる。不要なことなの?不急の仲間に入るの?と。

「不要・不急」とは誰がどのように決めるの?定義は何?。屁理屈だと言われるかもしれないが、まさしく価値観によって決まるのではないか、と思う。

週3回と決められた日に、出られる人が出てワイワイしゃべり、予備運動をしてゲームを楽しむ。団地内なのでクルマなど使わない徒歩での集まり。


グラウンドゴルフ愛好者にとっては、年齢・性別関係なしに、個人の成績で少しの競争を意識しながら、軽い運動を兼ねた遊びが「不要・不急」と一括りにされるのは如何なものか。
それぞれが判断して「今日は寒いから休む」と言って人数が集まらなければ休みにする。そんな自由度を持った私たちのお楽しみ時間である。その時その時の個人の気持ちに委ねて頂けるとありがたいねー。もっとも、リーダーがいるわけで、リーダーの的確な判断は必要だが、最終的には個人の気持ちが最優先されるのだろうね。さて、あなたならどうする??

「病はチームで治すもの」

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大腸がん内視鏡検査は、一連の下剤投与に始まって、胃や腸内を完全に空っぽにする必要がある。その初期段階の下剤投与によってアレルギー反応が出て、首から上がむくみ腫れぼったくなった。まぶたがたるみ眼のふちが痒くなるなどなど色んな症状が出たことで、自ら下剤服用を止めた。それによって救急車騒動にも至らずに済んだ。下手をすると笑い話では終わらない大変な状況も予想される異常事態であったのは確かだ。

それもこれも元を糺せば、私自身が自分の知り得ていることをもっと詳しく、周囲へ知らせておくべきであったという、厳しい反省を求められる事態である。言うなれば、半ば自己責任の放棄が、直接的ではないにしても間接的大きな原因と言えるのではないかということである。

体質的にみても、過去に何度か薬品アレルギーによる痛い目、辛い目に遭ってきた。その記憶は頭にこびりついているのに、今回も、下剤の使用説明を受ける時に、看護師さんとのやり取りの中に、アレルギー体質であることを話題に載せなかったという、ヒューマンエラーともいえる一大事があった。そこには、常に持ち歩く「おくすり手帳」や「マイナカード」に記録されている内容で、看護師さんにも薬剤師さんにも、全てが通じているだろうという安心感と言うか、安易な気持ちがあった。そこが落とし穴であった。

遅ればせながら、自分のことを一番よく知っている自分が、過去のアレルギー症状を思い出してまとめてみた。耳鼻咽喉科の吸引装置で吸引する噴霧で、高熱と頭痛に悩まされたこと。外科手術後の痛み止め薬が自分に合っていなくて激痛に耐えたこと。などなどを書き出して「おくすり手帳」の表紙に貼り付けた。
もちろん、今回については医師から「患者サマリ」として薬品名と注意事項が記された用紙を頂いた。それもおクスリ手帳に貼り付けた。

このように自分で出来ることは精一杯の努力をするべきである。そのうえで、医師や看護師さん、薬剤師さんそして自分自身も一緒になって病気を治す、病気と闘う、一つのチームが出来上がるような気がする。

病気になったのは自分なのだから、医師・看護師・薬剤師さんたちの専門知識を頼りにしながら、自分が闘う意識を持って協力すること。今回のアレルギー騒動から体得した貴重な財産としたいものだ。

初めまして!!

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gooブログの時代、ブログ村村長さんはじめ、ムラゴンの皆様には大変お世話になって参りました、旧姓「世の中ちょっとやぶにらみ」、yattaro-と申します。
日々の生活の中で、楽しかったこと、哀しかったこと、気にかかったことなどを、勝手気ままな視点で眺め、極めて独断と偏見に満ちた拙い文章を綴ります。

お暇な折に、時々覗いて頂けると有難く思います。
1942年生まれ、高齢者であることが唯一自慢のyattaro―です。毎日欠かさずブログアップなどとてもできませんが、思いついた時に少しずつ。よろしくお願いします。


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