世の中ちょっと やぶにらみ!

本音とたてまえ使い分け、視点を変えてにらんでみれば違った世界が見えてくる・・・かな?

「長崎 平和祈念式典」

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           長崎原爆の日 平和祈念式典 2026 

 
  原爆投下により、多くの人が水を求めて亡くなった。供養のお水供え儀式

8月6日の広島に続いて今日は長崎原爆の日。午前9時02分の原爆投下時刻に合わせて、世界の恒久平和を願う、長崎平和祈念式典が行われた。
岩国市でも、午前9時2分、Jアラートスピーカーから流されるサイレン吹鳴に合わせて、原爆死没者を追悼する気持ちを込めて市民が黙とうを捧げた。

核兵器廃絶が叫ばれる中で、侵略戦争当事国が平然と核使用をちらつかせる世界情勢。どんなに大きな声を上げても、百回千回核廃絶を唱えても、作り続けることはあっても廃絶に向けた動きは見られない。この矛盾、どう捉えればいいのだろう。

たとえば、最初に原子爆弾を作らせた人、作った人、を明確にして、その業績は人類破滅兵器の製造者として✖印のレッテルを貼るとか、それを真似て現在も作り続ける国家は世界悪として地球規模の制裁を課す。もしも核兵器のボタンを押す為政者は、国連刑場において銃殺刑に処す。といった具体的な対策を講じない限り、核兵器のない地球は期待できないのではないか。

兎に角、原子爆弾は兵器というより、無差別大量殺りくの手段でしかない。そんなことも考えずに、あそこもここも、核武装することで自国は安泰である。などと言う神話を信じる為政者が存在する限り、核なき平和な世界が来るのか、気がかりではある。
核を使えば核で仕返しされる。それこそ双方滅亡の一途である。
核のボタンを押したら即銃殺刑。そんな強い国連の実現を夢見たい。

文明が発展すれば確かに便利な世の中になるし、何かにつけてスピード感は上がる。
しかしそのことが本当にいいことづくめで、人類が間違いなく幸せになれるのか。
フェイクニュースははびこる。その陰にはそれを仕事にして収入を得るシステムが付いて回る。収入になるのなら、人の迷惑顧みず、顔も声も姿も加工して興味本位のフェイク映像が出来上がる。夏の風物詩、四国の阿波踊りの華麗な女性姿まで、いかがわしい映像に歪曲されて収入源となる。こんな世の中が、本当に文明豊かな幸せだといえるのだろか。

もう少し長生きして、やり残しの部分にケリを付けたい思いもあるが、なんかしらアホらしさも感じる。単なる取りこし苦労ならいいのだが。

「半分 夏バテ」

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 7月下旬のアサガオ
 8月7日のアサガオ 
      花も青葉も多かったが、10日もたてば花は少なく、葉も黄色が目立つ。 
   
夕立の一つもない。かれこれ2週間、雨らしい雨に見放された山口県。ガンガン太陽だけは一日も欠かさず照り付ける。畑はもちろん、植え込みもアサガオも水道水で命はつないでやってはいるが、ここにきていささかバテ気味。早くも夏バテ到来かも、それにしては少し早いが、人間さまも連日のこの暑さには閉口している。

有り余るスタミナがこの身体に残っていれば、海や川に涼を求めたり、どこかドライブと洒落込むのもいのだろう。現実はエアコン利かせたこの部屋から一歩出ただけで、目まいがしそうな暑さでは、必要最低限の買い物に出かける以外は、熱中症で救急車のお世話にならないよう気を付けて、ひたすらお籠りさんを決め込んでいる。 

お籠りさんといえば、あの忌まわしいコロナ禍で、暑さ寒さに関係なく「人と接しない」ための人除けの自己防衛手段であった。 今は、重大感染症などとは無関係だが、この猛烈な暑さ故、団地公園のGゴルフもできない、仲良し同士の顔合わせもない。ペット散歩のお馴染みさんとの立ち話もない。まさしくコロナ禍に喘いだ時代と変わらない息苦しさを覚える。

台風襲来に脅かされている沖縄地方の皆さんにはお気の毒だが、長らく雨音を聞いていない者にとっては「雨乞い」したくなる昨今である。
「雨乞い」とは、神仏とともに生きてきたわが国特有の祭祀・儀礼だと思っていたが、実は「雨乞い」は世界中どこでも行われる宗教行事だとのこと。目からうろこである。

水は生きるためにも、農作物にとっても不可欠であることは世界共通である。不足すれば神頼みしてでも欲しくなる心情も世界共通である。
その意味からも、熊本を襲った大地震から10日。ライフラインの損傷による水不足はなんともお気の毒である。命をつなぐに欠かせない大切な水。いっときも早く復旧されんことを祈っています。暑さをしのぐための雨乞いなど、やはり不謹慎ですね。

「「広島平和記念式典」

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昭和20(1945)年8月6日午前8時15分。
一発の原子爆弾が広島市の上空で炸裂した。人類史上初めての、非人道的兵器の象徴とも言うべき「核兵器使用という蛮行」が実行された瞬間である。
そんな悲惨な殺戮行為をこの世から追放すべく、平和を希求する「広島平和記念式典」
が、広島平和公園で行われた。ロシア・中国を除く世界中の多くの国や地域から代表者が参加した。国連事務総長からのメッセージも代読された。

 
         広島平和記念式典、NHKテレビ画像の抜粋

 
          新たに認定された原爆死没者名簿の収納

     松井広島市長、高市内閣総理大臣、他による平和宣言

  
   黙とうを捧げる世界の人々        折り鶴に込めた平和の祈り

 
 世界の平和を祈るシンボル。世界遺産30年の広島原爆ドーム内部天井を望む骨格
   (鉄骨を組み上げ、最新工法によって世界遺産として守られている)

核兵器の脅威を前面に出して、侵略戦争を正当化しようとする大国は、広島平和記念式典を5年連続で不参加。もう一つの核兵器大国も今年の式典には不参加。この実績はまさに、核兵器使用を世界にちらつかせている脅威ではないだろうか。

我が国の同盟国アメリカは、世界の核保有国家が核の使用を意図した場合、抑制する力を持ち続けられるのだろうか。二つの大国が結託して核戦争を企てたら地球はいったいどうなるのだろう。
平和記念式典に堂々と不参加の意思表示ができる大国を相手に、世界は何をできるのか。

せっかくの世界平和を祈る式典の日に、こんな不安に陥れられる現実を、子や孫にどんな説明をしたらいいのだろう。正直なところ迷ってしまう。
ネコの首に鈴をつける役割を担える奇特なネズミさんが、この世界のどこかにいるのだろうか。いてくれることを願いたい。そんあ他力本願こそが危ういのかも。

EnjoyAugust

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今日も朝から、すぐ近くの国道188号線を、けたたましいサイレン音を響かせて救急車が駆け抜ける。それも今日は特別に回数が多い。
兎に角この猛烈な暑さ。熱中症搬送、水の事故搬送、急病搬送など色々想像する。

特に最近では、泳げない子が多数を占めており、せっかくの夏のレジャーの王者であるはずの、海や川の水遊びが、危険で怖い遊びになっている。理由は色々ある。
小学校時代の水遊び、水泳の練習不足が一番に上げられるようだ。団塊の世代が小中学校を席巻した時代に、あちらこちらの学校で設置されたプールが、ここにきて老朽化が進み、使えなくなった。修理して使うためにはそれなりの生徒数が必要となる。小規模校ではプール再生が難しい現状にある。

プールで水泳教室を開催するには十分な監視の目が必要になる。教諭だけでは全員に目が行き届きにくい。そこで保護者への監視参加を依頼することになる。以前は時間が持てるお母さんが多くて間に合った。しかし今はお母さんにお願いするにも限界がある。私たちも地域の見守り隊としてプール監視に出向いて来たが、高齢化や近年の温度上昇で、監視員に監視が要る時代になり、水泳学習の運営が難しくなった。

大昔の話で恐縮だが、我々の小学校時代はプールなどというのは一切ない。その代わり近くの川も海も勝手に泳ぎ、勝手に遊び場として使った。しかもガキ大将がそこにもここにもいて、泳げない子にはそれなりの教え方で泳ぎを教えてくれた。少し乱暴な教え方もあったが、教わる方もタフに、ガマン強く食い下がって教わった。そうして付いていかないと仲間に入れてもらえない憂き目に合うのだから、みんな頑張った。

残念ながら、今はそんなガキ大将はいない。子ども同士で遊ぶグループも少ない。近くの川も海も遊泳禁止や危険個所に指定されていて、水に親しむ場所も方法も極めて規制されている、ある意味気の毒な世の中である。但し、そうやってガチの規制しないと、事故が発生するとたちまち行政や自治体の責任として保障問題となる。何かと難しいね~。

いっそのこと、学校のプール学習に頼るより、地域にある民営の水泳教室に通わせる方が安心であり上達も早い。お金はかかってもそちらを選ぶ親は多いと聞く。
子供会などによるキャンプや炊さん実習など、子ども同士の協力や遊びの知恵の出し合いも皆無に近い。

お金をかけるだけが悪いとは言わないが、時間と情と愛を込めて子どもたち本来の遊びに付き合う夏休みになるといいね。と、自分の子育て時代を棚に上げて勝手な理想論を述べている。
それにしても、救急車の世話になるような危険を排除しながら、体験型思い出作りの夏休み、有意義な夏休み、元気を取り戻す夏休みを過してもらいたい。

「昼寝、サイコー!」

yattaro-

            
     雑草が刈り取られた空き地で、灼熱の太陽に耐える黄色いカンナ


今日一番の予定は、先の定期健康診断で少しの異常が見られた心電図の、さらに詳細なデータを得るための診断日であった。予約時刻に合わせてかかりつけ病院到着。月曜日でごった返す待合室で、たまたま空いた椅子に腰かけ待つこと数分。早くから待っていたであろう多くの患者さんを尻目に、別室に案内された。

先日、主治医から説明されていたと同じ診療内容を看護師さんから手際よく聞かされ、24時間連続心電図計測器を胸と脇腹に貼り付けられた。こんなコンパクトな機器が、私の24時間の活動・行動をチェックするとはね~。などと大いに感心しながら、ものの10分余りで装着を終えた。支払い順を待って病院を出るまでの所要時間およそ40分。いつもの予約診療がこれほど早く終えると有り難いのに、などと勝手なことを考えるが、普段は主治医による診察が時間を取る。これはこれで最も大切な時間なので、早けりゃいい、などという問題ではない。

そして8月に入って初めての診察。後期高齢者医療費負担が7月まで1割だった。それが今日から2割負担になった。「え~?こんなに??」と思うほど負担額倍増である。そこは、不満を訴える前に、今までの1割負担があまりにも厚遇されていただけの話。と割り切ってはいるのだが。今般の物価上昇に見合う年金の増額が追い付かず、年々実質的な目減りを感じる者にとっては、やはり痛い出費ではある。

今日の計測器貼り付けは、生活様式など特に変える必要もなく、お風呂にだって入れるし、適度な運動もOKという優れものである。胸に貼られた煩わしさも特には感じないままである。ただ、朝から照り付けるこの暑さ。計測器のためにも今日一日静かに昼寝でもして過ごそうと心がけた。エアコン利かせての昼寝のなんとまあ贅沢なこと。
昨日の7時間に及ぶ日干しと比べると別世界である。まさしく元気回復有り難かった。

そこで思うのは熊本地震その後である。居住場所の確保やライフライン復旧もままならず、この炎天下では命を守ることに精いっぱいなのではないだろうか。わずかな義援金を送ることしかできない人間だが、せめて自分の健康を保つことで、医療費を被災地の皆さんに回したいと思っている。
被災された皆様には、兎に角命を守って今を乗り切る。明日への望みをつなぐ日々にして頂きたいと心から願うばかりである。